森田石材店ブログ - ちょっと考えてみました -
菴羅樹の花は多くさけども
2022年12月20日 08:00

こんにちは、本店スタッフです。
今年、私がブログを担当するのもこれが最後です。そして森田石材店に入社してちょうど1年が経ちました。
1年間とても早かったですが、すご~く昔のような気持ちもあって不思議な感覚です。
元気に一年を締めくくろう!と思っていた矢先、何年かぶりに体調を崩してしまい体だけでなく心の方まですっかり弱ってしまっています。
風邪とは無縁で元気だけが取り柄だったのですが、やはり歳のせいでしょうか。
そんなわけで、絶賛喉の調子が悪いので買い物に行ってはのど飴のコーナーを見ております。
のど飴といえば、まず思いつくのは「カリン」ではないでしょうか。
カリンはお寺によく植えられており、アンランジュ(安蘭樹)という名前でお釈迦様に縁のある尊い木とされています。
さてここで、カリンの話をする前にまずマンゴーの話をしなくてはいけません。
なぜ唐突にマンゴー?と思われるかもしれませんが、実は本来尊い木とされていたのはカリンではなくマンゴーだったのです。
しかし、インドから中国そして、日本に伝わる間のどこかで、「マンゴー」と「カリン」が入れ替わって伝わってしまったというのです。
アンランジュの「菴羅(アンラ)」は元々はマンゴーを意味する言葉だったのですが、間違って伝わってしまったせいで、日本ではカリンのことを「菴羅樹」と呼び、後に「安蘭樹」と書くようになりました。
マンゴーとカリン。うーん…確かに見た目は似ているかな。残念ながら、カリンの実は硬く渋味や酸味があるのでそのまま食べるのには向きませんが。
もし、途中で入れ替わったりせずにマンゴーのまま日本に伝わっていたら、お寺にはマンゴーの木がたくさん植えられていたのでしょうか?
と考えると、ちょっとトロピカルな感じがして面白いですね。
ということで、12月後半はクリスマスや忘年会などイベントも目白推しです。皆さま、どうかお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
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全然大丈夫ってどういう意味?
2022年12月13日 08:00
こんにちは。
滝野店事務スタッフです。
先日母が、「全然大丈夫ってどういう意味?大丈夫なん?あかんの?どっち?」と聞いてきました。
「大丈夫って意味だと思うけど、何で?」と聞くと、老人会の旅行に着ていく服を買いに行ったお店でサイズが分からず、店員さんに「これ私でも着れますか?」と尋ねると、「全然大丈夫ですよ」と言われたそうです。母は変な事をいう人だと思ってその店をあとにしたそうです。
「全然っていうのは駄目な時に使う言葉やろ、せやのに大丈夫って…なんなん」と困っていました。確かに母の言う事が一般的で店員さんの言葉がいわゆる若者言葉なのですが、最近ではアナウンサーやコメンテーターの方も「全然OKです」「全然いけてます」とか「全然嬉しいです」とおっしゃっています。前から気になっていたので少し調べてみました。
【全然】とはあとに続く言葉を否定する意味を持っていると小学校の国語で教えられています。例えば「全然嬉しくない」とか、「全然分からない」とか、「全然上手くいかない」という使い方です。検定試験などでは、【全然+肯定】は不適切だと判断されます。
けれど【全然】はもともと肯定表現で「完全に、まるっきり」の意味で使っていたらしく、明治時代、夏目漱石や森鴎外などもこの使いかたで小説を書いていたそうです。「彼女は当時、全然に恋愛の奴隷であった」「このプロジェクトは全然彼に任せることにした」という使い方になります。
最近よく耳にする「全然平気だから気にしないで」とか、「母の手料理の方が全然おいしい」は若者言葉の一種で、俗な用法です。
時に年配の方には違和感がある言葉だそうです。
なんだか難しい話になってしまいましたけれど、お店の方も「大丈夫ですよ」とか「全く問題ないですよ」とかでよかったのに俗語に流されてお客様に不快感をあたえてしまった、とても怖いことだなと思い、私も親しい間柄だとたまに使ってしまうので、気をつけなければいけないなと反省しました。
店内のお地蔵様、難しい話の後に見るとホッコリ癒されます。
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お寺で結婚式
2022年12月02日 08:00

こんにちは、本店スタッフです。
先日「今度、お寺で結婚式がある」というお話を社内で聞きました。
神社で式を行う神前式は皆様もよくご存じかと思います。私の親友も京都の神社で式を挙げました。ですが、お寺で結婚式というのはちょっと馴染がありませんでした。
以前仕事のために購読していた某結婚情報誌にも、お寺はあまり紹介されていなかった気がします。
ということで、神前式と仏前式の違いをご紹介します(※今回キリスト教式は割愛いたします)
次に仏前式は仏様やご先祖様に結婚の報告をし、巡り合えたご縁に感謝をします。
そして、仏様の前で来世までの結びつきを誓います。
結婚すると来世まで連れ添うという仏教の教えに基づき「来世での結びつきまで誓い合う」というところが仏前式の特徴ではないでしょうか。ロマンチックですね!
また、仏前式特有の儀式に「念珠授与」があります。結婚のお祝いとして白房の数珠を新郎、赤房の数珠を新婦へ僧侶が授けます。
他にも「式中にお経をあげる」「焼香をするという」というのも仏前式ならではです。
と、調べてみるとチャペルや神社とはひと味違った、とても厳かな雰囲気を感じました。
しかし、もちろんデメリットもあります。
■基本的に挙式は親族のみで、友人などゲストの参列はできません。
■一般的には新郎の宗派で行いますが、当人だけでなく親族間でもちゃんと話し合いをしていないとトラブルになりかねません。
■ブライダルプランが無いお寺が多いので色々な準備や手配を自分たちでしなくてはならず手間取る場合がある。
自分たちにゆかりのある地元のお寺で…となると、まず挙式が可能かというところから始めなくてはいけませんので、ちょっと大変ですね。
他の2点はデメリットとして挙げましたが、現代に合わせてゲスト参加可能や宗派問わずというお寺も増えています。指輪の交換もプログラムに取り入れられるそうです。
ちなみに、京都にあります北法相宗の大本山・清水寺でも挙式が可能です。ただし、式が挙げられる日が年に数日だけと限られているので難易度はちょっと高め。
あーあ、私も来世でも一緒になりたいと思えるような素敵な人に出会いたい!
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納骨する時期、様々ですね。
2022年11月16日 08:00

こんにちは、たんば篠山店の上山です。
先日、お電話を頂いた時の話です。
「家内が亡くなったので位牌をお願いしたい」
ご自宅にお伺いしてお話伺うと昨年の暮れにお亡くなりで、ここ何年も闘病中だったようでした。
「そろそろ1年経つので位牌は作っとこうと思って。以前にお墓お世話になったけど納骨はまだしない。まだ誰も入ってないお墓やから一人で入れるのは可哀そうや。さみしがり屋やったから」
「私の時に一緒に入れてくれと娘には言うてる、シャッフルして(笑)」
お部屋の暖炉の上にある置物を指差して「こんなガラクタみたいなものでも家内と旅行した時のもので一つ一つ思い出がある、あれは何処どこ行った時であんなことがあったなぁ」って時々思い返してる。
とても仲の良いご夫婦ですね。
「上山さんも奥さんをいろんな処に連れて行ってあげて思い出作ってたら一人になっても寂しくないで」
我が家の場合は、私が先になりそうなので家内に良く話しておきます。
勉強になりました。
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神様の食べ物
2022年11月14日 08:00

こんにちは、本店スタッフです。
先日、祖母の畑の柿を十数年ぶりに収穫しました。
もう手入れをする人もおらず、背が高くなってしまっているので手を伸ばしても届かないところにきれいな柿がたくさんあります。
子供の頃は、竹の先端を割った道具を使って取っていた記憶があるのですが、この日は何も持ってきていなかったので、えいやっとスカートをまくり木に登りました。
その後、収穫した柿を持って祖母の家に行き、その話をすると
「柿の木には神様がいないから登ったらいかんよ」と、3X歳にもなって小学生男子のようなことで注意をされてしまいました。
しかし、なぜ柿の木に神様がいないのか?それが気になって調べました。ですが、真逆の「神様がいるから登ってはいけない」という言い伝えは出てくるのですが「神様がいない」という話はとんと出てきませんでした。
うーん…きっと、うちのおばあちゃんオリジナルなのでしょう。もしくは西脇の一部の地域ではそうなのかもしれません。
この「柿の木神様いない説」を聞いたことあると言う方がおられましたら教えてください。
ほかには「柿の木から落ちると三年後に死ぬ」などとにかく木に登らせないための言い伝えも。
実際、柿の木は枝が折れやすく危険なので登らない方がよいそうですので、皆さまもお気を付けください。
さて、柿に対してあまり神聖なイメージがなかったのですが、じつは柿の学名は「Diospyros kaki/ディオスピロス・カキ」 神が与えし食べ物 柿という意味なのです。
これは江戸時代に植物学者のツンベルグさんが日本の植物を調査・採集した際につけられた名前なのですが、お寺や神社に柿の木が多く植えられていたのが由来だと言われています。
ということで、いまシーズンの柿をぜひお仏壇にもお供えしましょう。
因みに私、干し柿は食べられるのですが生の柿は食べられません。でも、収穫するのは好きなので来年もチャレンジしようと思います。
その時は神様に一度手を合わせてから取らせて頂こうと思います。
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お墓要る?
2022年11月08日 08:00

滝野店の河合です。
時折、若い世代の方から
「ウチはお墓無いけど、お墓って建てなアカンの?墓じまいや永代とか聞くし、要る?」
と言われます。
勿論、「故人の為にお墓を建てたい!」と仰るかたの方が大勢いらっしゃいます。
色々な供養の形が在りますが、お墓とは何なのでしょうか。
お墓とは、亡くなった家族やご先祖様を納めて、供養していくための物です。
お墓とは「終の棲家(ついのすみか)」なのです。
現在、必ずお墓を建てなければならないという法律はありません。
また、どのようなお墓を持つか、あるいはお墓自体持たなければならないかについて、決まりはありません。
しかし、お墓が在る事で、お墓の前で手を合わせて、ご先祖様に手を合わせて故人と会話をすることによって、自分自身を省みることができます。
お墓という形のあるものを持つことは、故人のため、自分のため、残された遺族にとって心の拠り所を持つことともいえます。
お墓は亡くなった人を思い供養するための場でありますが、残された人々にとっても心の整理をつけ、いま自分がいることに感謝したり、喜びや悲しみの報告に手を合わせることができる場所です。
お墓には、自宅にある仏壇のように毎日手を合わせるというより、お盆やお彼岸などの季節行事や人生の節目にお参りすることが多いでしょう。
お墓は、亡くなった人の終の棲家です。
遺骨を安置する場所としての役割があります。
そのため、お墓は仏壇に比べると非日常的な性質が強く、より「死」と向き合い、故人を身近に感じることができる場所です。
そういった特別な意味を持つお墓で故人に報告や相談事をすることで、忙しい日常生活の中で少し立ち止まって、ゆったりした非日常的な時間を持ち、自分の気持ちを整理したり、励ますことができ、大きな観点から心の成長ができるようになります。
また、家族の繋がりを再確認できる場所にもなります。
家族揃ってお参りすることで、家族としての繋がりをより強く感じる事ができます。
墓石は長く在り続けますので、故人がこの世に生きた証としての存在にもなります。
受け継いでいく「拠り所」がそこに在るという事が大事なのでしょうね。
やっぱりお墓は要りますよ!
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お骨が眠る大切なところ
2022年10月26日 08:00

こんにちは、たんば篠山店の上山です。



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22才の旅立ち
2022年10月06日 08:00

こんにちは、たんば篠山店の上山です。
お客様から連絡がありました。「納骨をしたいのですが、お手伝いをお願いできますか?」
このお客様は8年前に息子さんを亡くされて、2年前にお墓を建てるお手伝いをしていました。
2年前には「お墓を建ててしまったら息子が遠い所へ行ってしまうような気がして、でもこのままで良いのか」とずっと悩んでおられ、お骨は仏壇でお祀りされていました。
いざ、お墓が完成してもまだ迷われていましたが、「建碑式で家族全員でお墓に巻かれた白布をほどき真っさらのお墓が現れた時、自然と涙が出て無意識にお墓を撫ぜていました。安堵したんです。」
「こんな気持ちになるなんて思いませんでした。不思議でした。これで安心して死ねると思ったのか…私も夫も必ず息子の所に行けると安心したのでしょうか。」その時はそんなお気持ちだったようです。
ご納骨の後にお話伺うと「14歳で亡くなり8年が過ぎました。いま元気でいれば22才になります。同級生の友達だった子供達も大学卒業して社会人として旅立って行く年になって…まだ寂しい気持ちもありますが決めました。」
お骨を骨壺から晒し袋に移し替えて納骨するまでの間ずっと撫ぜておられたのが印象に残っています。
末永くお祀りくださいませ。
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日本で作ったお地蔵さんをすすめる5つの理由
2022年09月16日 08:00

仕入れ担当の森田です。
最近は円安の影響もあり、輸入品の価格は驚くようなことになっています。
私みたいな立場とすれば、「これは国内でやったほうがいいんじゃない?」と思うこともしばしばございます。
そんな商品のひとつにお地蔵様がございます。
たとえ価格差があっても日本のお地蔵様はいい感じなのに、いまでは割安感すら覚えます。
今日はお地蔵様についてお話したいと思います。
お地蔵様とは
愛らしい穏やかな表情をされているのがお地蔵様です。
お地蔵様は地蔵菩薩といわれ菩薩様なのです。
菩薩さまとは、有名どころでは観音菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩などおられます。
悟りを求める衆生という意味らしいのですが、ブッダが悟りを開く前の状態としてかなり偉い方にあたります。
そんな菩薩であるお地蔵様は子供の供養によく用いられます。
その理由は有名な賽の河原の話になります。
『仏教では、親より先に死んでしまった子供は、
親不孝をした罪となり賽の河原で石を積まなければなりません。
親を思いながら、徳を積むために一つずつ石を積みます。
しかし、その石積みを鬼が崩して邪魔をしてきます。
そこへお地蔵様が現れて子供たちを救ってくれるのだそうです。』
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いちばん大事なのは顔
お地蔵さんには限りませんが、仏像でいちばん大切なのは顔です。
特にお地蔵様は優しく穏やかな表情がいいですね。見ているこちらも癒やされます。
そして顔はつくり手により特徴が出ます。
日本の職人さんの技がすごい
現在、日本のお墓に建っているお地蔵様のかなりの数が中国製品です。
理由は価格が安かったからです。
もちろん技術もそれなりですから、広まるのも当然です。
弊社も例外ではなく、多くの中国製のお地蔵様を納めてきました。
しかし、国産のお地蔵様と比較するとその違いは歴然とあります。
最も大きな違いは仕事の丁寧さです。
日本の職人の仕事は細部まで手が入っています。
上の写真は有名な方の作品です。本当に見ごとな技術です。
それは見るだけではなく触ってみると明らかです。
何とも言えない手触りはいい仕事の証です。
また頬の滑らかさ、表情の深さも違います。
素材とひと手間
日本の職人さんは実に色んな素材でお地蔵様をつくられます。
たとえば「石んこ地蔵」で有名な平泉さんは、かわいい表情はもちろん独特な色付けをされます。
また和泉石など昔から日本で採れた砂岩質の石で加工されたものは、目が細いので細やかな加工が特徴です。
あと自然の石の肌をそのまま活かした伊達冠石も魅力的です。
中国の物価高、円安で差は小さく
冒頭にも申し上げましたが、中国製品と日本製品の価格差のお話をしました。
そしてそれが今ゆらいでいます。
人件費の高騰と円安の影響でその差は縮まってきました。
いよいよ、品質と価格のバランスでは日本製品に軍配が上がると私は思っています。
まとめ
今回はお地蔵様について少し書いてみました。
お地蔵様に限らず、灯籠・狛犬・観音様など、どれをとっても日本の技術は素晴らしいと思っています。
もちろん海外の加工も素晴らしいものはたくさんあります。
しかし、私たちが見慣れた感覚のようなものにピタっと当てはまるのは日本の職人さんの仕事が多いように思います。
長らく国産の加工が減っていったこともあり、職人さんの人数も少なくなってきています。
今後もこの技術が継承されますようにと願うばかりです。
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