森田石材店ブログ - お墓見聞録 -

五供ってなに

2019年11月06日 12:54

藤井 勇輔

滝野店の藤井です。

灯篭」「六地蔵」「精霊馬」「蓮華」に引き続き新米営業の私が

「これは何だろう?」「何のためにあるんだろう?」と疑問に思ったことを考えていくシリーズで今回で5回目になります。

 

今回のテーマは五供です。

ん?五供ってなに?聞いたことないなぁ。と思われる方が多いと思います。
私も最近覚えました。笑

五供とは文字通り5つのお供え物のことを言います。

1つ目が香。お線香などのお供えのことを指します。
線香.jpg

2つ目が花。これは仏花のことを指します
仏花.jpg

3つ目が灯燭。これはろうそくの明かりのことを指します。
蝋燭.jpg

4つ目は浄水。これはお水のことを指します。
水.jpg

5つ目は飲食。これは食べ物のお供えのことを指します。
食べ物.jpg

この5つが五供とよばれる基本的なお供えになります。
実はこのお供え物を全て備える仕組みがお墓には備わっています。

それに関してはまた次回に続きます。

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500年以上前の人に会える場所

2019年10月31日 08:00

滝野店事務スタッフ

滝野店スタッフです(*^-^)/

帰省したらご仏壇の前に座って「帰ってきたよ~!」って言うのが当たり前の習慣になっている私。

お墓参りをする時に「お祖母ちゃん、お祖父ちゃん来たよ~!」って話しかけてる方も多くいるのではないでしょうか(*^-^*)

先日、高野山の奥之院へ行ってきました。

約2kmに渡って戦国武将のお墓が点在しており、歴史に詳しい方と回っていたので凄く楽しくて有意義な時間を過ごせました!

伊達政宗2.jpg

伊達政宗墓所

石田三成.jpg

石田三成墓所

武田信玄.jpg

武田信玄墓所

豊臣秀吉1.jpg豊臣秀吉2.jpg

時間の都合で最後まで行けず、織田信長墓所だけ見れなかった^^;

今でも夜な夜な戦いが繰り広げられていたりして…なんて想像を膨らませながら、500年以上前の時代と繋がったような不思議な感覚でした

次回は織田信長に会いたいo(*^-^)o

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東海地方のお墓

2019年01月21日 08:00

藤井 勇輔

滝野店の藤井です。

私事ですが年末年始は岐阜にある実家に帰省しまして、お墓参りに行ってきました。

名古屋のお墓.jpg

東海地方のお墓は名古屋型といい下から2番目の段から芝台、下台、上台、竿石の4段で構成されているのが一般的です。

私の家のお墓は高さを上げるためにもう1段その下に四つ石を置いた形になっています。

最近の名古屋型のお墓では、

最近の名古屋型のお墓.jpg

このように芝台の上に屋型の香炉を置き、下台の上に水鉢を置くような形が多いです。名古屋型の名前に恥じない派手な形ですね。笑

全国のお墓を見てみると他にもさまざまな特徴があります。自分の家のお墓は何型になるのか調べてみるのもおもしろいかもしれませんね。

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身近にあったユニークなお墓

2018年06月07日 08:00

中村 淳
滝野店の中村です。
前回の記事では、大阪夏の陣などで活躍した武将「後藤又兵衛」のお墓をご紹介しました。
今回は同じ景福寺にある個性的なお墓をご紹介します。
まずはこちら。
石臼①-1.jpg 石臼②.jpg
変わった形をしています。皆さん何かに見えませんか?
答えは「石臼」です。
これは江戸時代初期の剣豪「羽生郷右衛門」の墓だそうです。
石臼を毎日持ち上げて鍛練していたというエピソードにちなんでこのようなお墓が建てられたそうです。
次はこちらです。
元旦①.jpg
元旦②.jpg
こちらは「島田元旦」と言う人のお墓です。
日本に於ける最初のアイヌ語辞典とも称すべき報告書を作成した人物。また、画家としても活躍しました。
正月元旦生まれという事で画号を「元旦」としたそうです。
画家らしくとても印象的な正面文字で私はしばし見とれてしまいました。
元旦③.jpg
最後にこの景福寺を建立した「荒尾家」のお墓です。
荒尾家①.jpg
景福寺はもともと現在の兵庫県川辺郡猪名川町にありました。
荒尾隆重(当時の姫路城の城主池田輝政の家老)が姫路城下(兵庫県姫路市)に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺としました。
そして主君が鳥取藩(鳥取県鳥取市)と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っています。その為、景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の4箇所に存在し曹洞宗四景福寺と呼ばれています。
とにかく巨大な石塔で高さ3mくらいありました。
荒尾家③.jpg
意外と近くにこれだけユニークなお墓がたくさんあり、これから鳥取へ行く楽しみがまたひとつ増えました。

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旅先で見たお墓

2018年05月26日 08:00

yoshidumi

こんにちは、本店の義積です。

先日社員旅行で長崎に行ってきました。軍艦島はじめ大浦天主堂、グラバー園など異国情緒溢れる長崎の風景を満喫してきました(^-^)
20180526-1.jpg
旅に出ると地元と違う事に驚く事がたくさんあります。私は長崎のお墓を見てびっくりしました。大浦天主堂近くに小さな墓地があったのですが、なんと文字が金色で、お墓の周りの外柵も高く丹波ではあまり見ることができないものでした。
20180526-2.jpg
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関西では文字や家紋などは黒色や白色が多いのですが、ここでは全て金色!あまり見た事ないな~。そしてやけに背が高いと近づくと、カロート(お骨を入れる部分)が地面と同じ高さの地上納骨型です。
関西は、墓石のちょうど真下にある土の部分が納骨堂が一般的です。九州地方、沖縄地方のお墓は大きいと聞いていましたが、本当に大きなものでした。九州地方のお墓の特徴は、地上納骨、大きな外柵、そして金色の文字だそうです。
20180523-4.jpg
こちらのお宅のカロートの扉には菖蒲の花が描かれていました。素敵ですね!
観光地も楽しいですが、このような地元の普段の日常生活に触れる事も旅の楽しみです。いつか全国のお墓を見てみたいです。お墓好きにはたまらない旅になるだろうな(^-^)

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後藤又兵衛の墓

2018年05月22日 08:00

中村 淳
滝野店の中村です。
今年のGWは思いがけない発見がありました。
家族総出で父の実家のある鳥取市に行きました。
しばらく会っていなかった祖母の様子を見に行くこととお墓参りが目的です。
お墓は祖母の家からは徒歩5分ほどのお寺の境内にあるお墓です。
地域が変わるとお墓の形も随分と変わるので、興味深く見て回りました。
お墓から祖母の家に帰る時、いつもとは違う道を通りました。
子供たちに「昔はここにお風呂屋さんがあって…」などと思い出話をしながら歩いていた時です。
途中に割と大きなお寺があります。
お寺があるのは昔から知っていたのですが今までは全く興味がありませんでした。
しかしこの時は妙に気になりました。
気になった原因はこちらの石碑でした。
KIMG0604.jpg
一昨年、大河ドラマ「真田丸」が放映されていたのでご存知の方も多いかも知れません。
後藤又兵衛は戦国時代に活躍した真田幸村と並ぶ武将で大阪夏の陣で戦死しました。
ちなみに真田丸では哀川翔さんが演じておられました。
後藤又兵衛の出身は現在の加西市。亡くなったのが大阪。
そんな彼のお墓が目の前のお寺にあったのです。
実際のお墓がこちらです。
KIMG0608.jpg
KIMG0609.jpg
奥様と大阪夏の陣で同じく亡くなった長男の墓も並んでおります。
看板には9代目までのお墓があるそうですが家族にせかされ時間切れとなり発見できませんでした。
私の住んでいる篠山市にも後藤又兵衛の子孫の墓があります。
ちなみに後藤又兵衛が討死したのが5月6日。
私の誕生日です…。
このお墓を発見したのが、なんとっ!
5月5日…。
おしいっ!
戦国武将のお墓は全国に点在していたりするものですが、自分の身近な所にあるとは思いもしませんでした。
このお寺にはこの他にも珍しいお墓があったので次の機会にご紹介したいと思います。

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珍しいお地蔵さま

2018年04月29日 08:00

yoshida

滝野店の吉田です。

今回は、加西市の珍しい地蔵菩薩を紹介させていただきます。
今から40数年前に加西市教育委員会が発見し、新聞などで報道されました。表面は、普通のお地蔵さんと変わりはないのですが、裏面には十字架が刻まれたお地蔵さまです。「背面十字架地蔵」と呼ばれており、地元産の凝灰岩で通称「高室石」といわれる石で作られております。
1枚目の写真のお地蔵さまは、加西市教育委員会が最初に発見したお地蔵さまで、大日寺(天台宗)の境内に安置されている50体のうちの唯一の1体です。今から約300年前の享保10年(1725年)に作られたものです。徳川三代将軍の鎖国令から、キリシタン禁制が厳しくなった時代のなかで、その禁制をくぐって信奉していた「かくれキリシタン」といわれる人々がいたことを証明しているといわれております。キリシタン遺物のなかでも、全国的に大変珍しい石仏です。
DSCN2771.JPGDSCN2774.JPG
次の写真は、寛保2年(1742年)に製作された「背面十字架地蔵」です。今でも、集落の墓地の中央に立っています。
朝妻地蔵前.JPGDSCN2765.JPG

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第三十三警備隊慰霊碑

2018年02月22日 08:00

森田 浩介
仕入担当の森田です。
先日、お客様がある写真を持ってきてくださいました。その写真は広島県呉市にある「呉海軍墓地」でした。
こちらにお墓参りをされた時、偶然にもすぐそばに当社が建立したお墓を発見されたとのことでした。その写真がこちらです。
第33警備隊慰霊碑.jpg
ちなみに、この第三十三警備隊について書かれたページがこちらです。
【地域】フィリピン・ルソン島
【解説】1944年3月5日、内地で設置。4月17日、呉を出発してフィリピンへ。ミンダナオ島ザンボアンガの防衛を担当。司令は池田敬之助海軍大佐。1945年3月10日、アメリカ軍がザンボアンガに上陸。三月末、弾薬が尽きて北方に転進。池田司令は8月14日、ガリカン高地でマラリヤのため戦病死。終戦時の人員は、陸軍の独立混成第54旅団などと合わせて約400人。(参考資料:『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』563~564頁。『旧海軍恩給年加算調書(8)』216頁)
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裏面には仙台石の銘板に弊社の名前が彫られています。
過去の資料で、呉に慰霊碑を建てたことは知っておりましたが、それがどこにあって、どんなものなのかは存じておりませんでしたので、本当に驚きました。
こうして旅先で弊社のことを発見してくださる方、本当にありがたいと思っております。そして、作らせていただいたものが長く後世まで残るこの仕事に感謝です。
写真をくださった藤賀様ありがとうございました。

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数え切れない五輪塔

2017年09月26日 08:00

髙橋 圭司

本店の高橋です。

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これは大小様々の五輪塔です。
神戸市北区、有馬温泉にほど近い専念寺という私がいつもお世話になっているお寺様です。このお寺は開山が1574年(安土桃山時代)とのこと。織田信長全盛期の頃ですね。
明治時代以前はもっと広かった境内の中にあった物が集められてまとめて供養されているのです。
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日本で五輪塔が建ち始めたのは平安時代末頃からと言われています。また五輪塔を全国に広めた行者たちは高野聖と呼ばれ鎌倉時代以降、高野山を本拠として活動していました。
古いものですから当然磨きはかかっていません。六甲山麓ですからもちろん本御影石です。わたしの大好きな五輪塔のひとつです。もしかするとこの五輪塔も高野聖が納めたものかも知れませんね。
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むれ源平 石あかりロード

2017年09月15日 08:00

森田 浩介

仕入担当の森田です。

今日は私たち石の産地である香川県のイベントをご紹介します。その名も、『むれ源平 石あかりロード』です。高松市牟礼町で今年は8月5日~9月16日まで開催されています。ということは明日で終了です(紹介が遅くてすみません)。
この石あかりロードは毎年開催されておりまして、今年で第7回なのだそうです。私も以前に見に行きましたが、平日でもかなりの方が訪れていました。その魅力は、地元の庵治産地の職人さんが作った石の明かりがとてもキレイだということです。
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沿道はこんな感じです(はやしばらさんのサイトより)
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夕暮れに灯る石あかりはとてもやわらかい光でホッとします。上の写真はメインの展示ですが、こうしたひとつひとつの石あかりが数百メートルもある通りの両サイドの軒先などにずらりと並びます。
並んでいる石あかりはすべて売り物ですので、ほしい商品があれば分けてもらえるそうです。
しかし、このイベントで驚いたのは、地元の方々の協力です。石あかりは電気を使いますので、当然電気代がかかります。その電気代は軒先を提供している方の協力なのだそうです。さすが石の町ですね。
今年の石あかりロードは明日までですが、夏の高松に行かれる際にはお立ち寄り下さい。

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お墓の展示場

見学会 918日(土)~26日(日) 1113日(土)~21日(日) 115日(土)~23日(日) 319日(土)~27日(日) 611日(土)~19日(日) 917日(土)~25日(日) 1112日(土)~20日(日) 114日(土)~22日(日) 318日(土)~26日(日) 610日(土)~18日(日)

山南本店久下小学校近く
滝野店JR加古川線滝駅すぐ前
たんば篠山店丹南篠山IC近く