森田石材店ブログ - ちょっと考えてみました -

森田 浩介
森田 浩介

仕入れ担当の森田です。

最近、本の紹介をすることが多いのです。本日も別のネタを書こうとしていたのですが、やはり発売間もない今が旬だと思いましたので、ご紹介させていただきます。

日本の神様図鑑.jpg

神様と仲よくなれる!日本の神様図鑑(大塚和彦著)

私たち石屋のお仕事でも、神様に関することは沢山お手伝いします。例えば、神社の玉垣や鳥居、キツネや狛犬、灯籠や手水鉢などもあります

ご自宅や地域では地神さまのお社もそうです。

この神様図鑑では、図鑑と言うだけあって挿絵もキャラ化されて面白いです。キャラ化されているのは古事記に出てくる登場人物(というか神様)です。これを読んで改めて古事記を読むともっと楽しいこと間違いなしです。

著者の大塚さんはタロットカードをつくる会社を経営されているようで、そんなところがこの本のキャラ化にも生かされているのかもしれません。

祝詞(のりと)や大祓詞(おおはらいことば)の意味がわかるのもいいです。今まで何気なくお参りしていた神社が、それぞれの個性を見ることができます。

古事記といえば、お墓のルーツである千引岩の伝説が出てきます(本書ではあまり紹介されていませんが)。

少し違った角度で古事記を楽しんでみてください。

森田 浩介
森田 浩介

仕入担当の森田です。

今日は私たち墓石店にとって、とても嬉しいお話を聞きました。

クラウドファンディングでお墓参りの手助けをしようと、鹿児島の高校生たちが取り組んでいるのだそうです。

鹿児島の女子高校生が仏花付き墓参りタクシーで

お年寄りに笑顔を届けたい。

クラウドファンディング鹿児島女子高生.jpg

このページで紹介されているクラウドファンディングです。実際に高校生たちが知恵を絞り、この夢を実現するために立ち上げました。趣旨は以下のとおりです。

『実は、鹿児島はお墓参り日本一という御先祖様をとても大切にしている県です。しかし、高齢化が進む日本で足腰が悪くなりお墓参りができない高齢者がたくさんいます。私達はそんな高齢者の方を1人でも笑顔にしたくてこのサービスを約2年前から考えてきました。高校生の私たちだけでは限界があります。力を貸してください!』

詳しくはサイトをご覧ください。

数年前から話題になっているクラウドファンディングですが、実際には商品開発で「この商品差し上げます」みたいな先行予約販売の形が圧倒的に多く、ちっとも面白くありませんでした。

しかし、この取組みはとてもクラウドファンディングらしい案件だなあと感じました。当社でもわずかですが一口支援させていただきました。

鹿児島といえば、お墓に花を絶やさない地域として有名です。そんな地域でも、高齢化によりお墓参りはだんだんと困難なものになっているのでしょう。

もっといいアイデアが蓄積して、継続的に実現できるようになったらいいですね。

藤井 勇輔
藤井 勇輔

滝野店の藤井です。

前回の灯籠って何のためにあるの?に引き続き今回もよく考えてみると「これって何のためにあるのだろう」と思うものについて考えていきます。

突然ですが、お墓参りに行った際にこういったものを見たことはないですか?

六地蔵.jpg

墓地の入口には6体のお地蔵さまが必ずと言っていいほど祀ってあります。

私もこの仕事に就くまではなんとなく「お地蔵さんが祀ってあるなぁ」位にしかとらえていませんでした。
今回お話していくのは

「なぜお墓の入口には6体のお地蔵さまが祀ってあるのだろう?」

という疑問についてです。

一般的には六地蔵と呼ばれているこのお地蔵さまは、人が生まれ変わり死に変わり続ける6つの世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のそれぞれで苦しむ人々を救うためにおられます。

墓地は亡くなった人の世界と、生きている人の世界の境界です。

お地蔵さまはあの世へ旅立つ人の安全と安らぎを祈るという意味と、もうひとつは死者が迷ってあの世からこの世に帰ってこないようにという2つの意味で生と死の世界の境界に立っておられるのです。

これからも引き続き日々気づいた「なぜだろう?」を紹介していきます。

よっぽどの縁ですね

2019年04月11日 08:00

森田 浩介
森田 浩介

仕入れ担当の森田です。

今日は本をご紹介します。軽く読めますのでおすすめです。でも内容は濃いです。

「よっぽどの縁ですね(大谷徹奘氏)」

よっぽどのご縁ですね.jpg

これは薬師寺副執事長である大谷徹奘(おおたにてつじょう)さんの講演録になっています。

実際の講演CDもついていますので、聞くだけでもとてもいい内容になっています。

お寺さんのお話らしく、背筋がピンと伸びるような感覚です。お話のキーワードは3つ。

身心安楽

自覚悟

よっぽどの縁ですね

他にもいい言葉は出てきますが、この3つは少なくとも心に留めておきたいです。

CDでお話を聞いてから本の内容を見ると、より理解が深まるのではないでしょうか。

あとCDには入っていないのが「あとがきにかえて」です。

せっかくですから、本の方も読んでくださいね。

映画「洗骨」

2019年04月03日 08:00

森田 浩介
森田 浩介

仕入れ担当の森田です。

先日、映画「洗骨」を観ました。

映画「洗骨」.jpg

公式サイトはコチラ

洗骨とは沖縄の島で代々伝わる風葬の儀式です。

死者をお墓(映画の中では洞窟のようなところ)に棺桶のまま入れておき、4年経ったところでもう一度外に出して棺桶のフタを開けます。

そして、そのお骨をひとつひとつ取り出し、みんなで洗い清め、またお墓に戻します。

一見するととてもグロテスクな行為に思いがちですが、実際はとても神聖な儀式だと思います。

これを一族みんなで行う風習はいいものだなあと感じます。

さて、ストーリーはネタバレになるので書きませんが、ここに埋め込まれているストーリーは神話と同じ、なぜ人間が死者を大切に扱うのか(葬るのか)が伝わってきます。そんな映画に私は感じました。

この映画を観て、数年前に玄侑宗久さんが雑誌のインタビューにお答えされていた記事を思い出しましたので、その一部を以下に引用します。

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記者:直葬や散骨、樹木葬など葬儀の簡略化が進んでいますが、それは自分の死後をおろそかにしてしまっているということでしょうか。

玄侑:というよりも、「連続性をおろそかにしてしまっている」ということなんでしょうね。私はこの寺の35代目の住職ですが、34代と36代の「つなぎ」という意識をとても強く持っています。たかがつなぎ、なんですが、されどつなぎ。脈々と伝わってきた連続性が、つなぐことで守られるという安心感を私に与えてくれます。

自分の死後、どういう状態で、どこに埋葬されようが別に構わないというのは、こうした連続性が意識できなくなっているのかも。先祖や地域など、多くの連続性を感じるということを、生き甲斐として感じて欲しい。

さらに言えば、寺や仏像はなぜ尊い存在なのか。それは何百年もの間、寺が修行の場であり、仏に対して僧侶や信者が仏餉(ぶっしょう)をはじめとするお供え物を綿々と続け、手を合わせ続けてきたからに他ならなりません。

連続性さえ大事にすれば、「死後、自分がどこに埋まるのか」ということも含めて、理屈では説明しにくい安心感をもたらしてくれると思います。(日経ビジネス「宗教崩壊」より)

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連続性なのですね。

灯籠って何のためにあるの?

2019年03月30日 08:00

藤井 勇輔
藤井 勇輔

滝野店の藤井です。

まだまだ新人で日々勉強中の身なので、お墓を見た際に

「なぜこの形をしているんだろう?」

「この部材はどういった意味があって置かれているんだろう?」

と疑問に思う事がまだまだたくさんあります。

そんな私が最初に思ったのが「お墓に灯籠があるのはなぜなんだろう?」という疑問です

灯籠付きのお墓.jpg

大小さまざまありますが、このような灯籠が付いたお墓をよく目にします。

ではなぜお墓に灯籠があるのか?

それは、灯籠が火をあらわしお墓を守るという意味があるそうです。

また、灯籠の側面にはこのように
太陽と月.jpg

画像手前には太陽が、奥には月が彫られています。

これは、昼も夜も照らしていて1年中火をともしているのと同じ功德をしているという意味があるそうです。

日々勉強していると、他にもお墓や仏事の「これってどういう理由があるんだろう?」と思う事が多いです。

これからも日々気づいた「なぜだろう?」を紹介していきます。

もうすぐ春のお彼岸です

2019年03月12日 08:00

山崎 倫子
山崎 倫子

本店 山崎です。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、だんだんと寒さも和らいできました。彼岸がくると季節の変わり目を感じますね。

そして、彼岸=お墓参りへ行く日と考えられる方も少なくないと思います。

一般的にお彼岸は春分の日の前後3日を合わせた7日間のことです。祝日法により、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」。

秋分の日は「先祖をうやまい、亡くなった人々をしのぶ日」と定められています。

また春分の日と秋分の日は昼と夜の長さがほとんど同じで、太陽が真西の方角に沈みます。仏教の考え方では、西にあの世が存在する場所があるとされています。

そのため、春分の日と秋分の日は、あの世と最も距離が近くなる日と考えられました。ですから、自然とお墓へ参るという行為が行われるようになったのでしょうね。

お彼岸のお供え物は、これも皆さんご存知でしょうが、春は「ぼたもち」秋は「おはぎ」を供える事が一般的です。

ぼたもちもおはぎも、実は同じものですが、季節によって「牡丹」と「萩」にちなんで名付けられています。

ぼたもちを供えて手を合わせたいですね。(お墓へ供える際は、持ち帰ってくださいね!)

この頃は、だんたんと暖かい日も増えてきて、そろそろ桜も咲くかなぁ~と出かけるのにもよい時期ではありますが、時間を見つけお墓やご仏壇にお参りするというお彼岸本来の目的も果たしたいものです。

私も先日、スーパーに立ち寄った時、普段ならあまり通らない和菓子のコーナーで、「あぁ、おばあちゃんがこの大福好きだったな~」とふと思い出しました。

そろそろお参りに来てよと、言ってるのかもしれません(^^)

teoke1.gif

このあとどうしちゃお

2018年12月20日 08:00

yoshidumi
yoshidumi

本店の義積です。

今週は、私の大好きないとこが病気のため他界しました。葬儀のあと残されたご家族と「亡くなったら人はどうなるの」の話をしました。

仏教では仏様がお迎えに来られます。また、俗説ですが亡くなった親しい親族もお迎えに来てくれるとも聞きます。本当のところは分かりませんが、今日は死後の世界はどうなるかがテーマの本をご紹介します。

メディアで話題になっているヨシタケシンスケさんの絵本です。

主人公の男の子が、おじいちゃんが亡くなった後に「このあとどうしちゃおう」と書かれたノートを見つけます。

そこには「自分が将来死んだらどうなりたいか、どうして欲しいか」たくさん書いてありました。

この本は「死」がテーマです。作者ヨシタケさんは、身近な人が亡くなり人は死の間際になればなるほど死について語れないと実感されました。

『「死」について考えることは縁起でもないと考えられがちですが、改まったものではなく、ふざけ半分で本音を気軽に話せるきっかけになればと作りました。

誰もが「死」は必ず経験します。子供であろうが、大人であろうが、それぞれの死生観があります。「死」は茶化したらいけないものですが世の中ふざけながらじゃないと語れないこともたくさんある』とヨシタケさんは言われています。

亡くなくなったらどうしてほしいかを書くノートといえばエンディングノート、子供向けの絵本にしたらテーマが重過ぎではないのかな⁉と思いながらページをめくっていくと大違い。

ユーモア溢れる内容にクスリと思わず笑ってしまいました。

私が死んだらどうしたいか、空を飛んで世界中を旅してみたい。旅に飽きたらまた生まれ変わって亡くなった父と母の子供に生まれたいです。

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私はヨシタケシンスケさんの絵本シリーズが大好きで、本屋の絵本コーナーでつい手に取り見てしまいます。

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こちらの本も今人気です。最近知りましたが、このヨシタケシンスケさんの祖父母は当社本店のご近所の方(現在は住んでいらっしゃいません)だったそうです。

更に親近感が沸きました。どの本も、大人も子供でもたくさんの方に、ご覧いただきたい一冊です。

一緒にお墓に入ろう

2018年12月14日 08:00

森田 浩介
森田 浩介

仕入担当の森田です。

今日はこんな本をご紹介します。

一緒にお墓に入ろう(江上剛著)

一緒にお墓に入ろう.jpg

またもやタイトル買いですが、著者の江上剛さんはナント私の高校の先輩(柏原高校)です。

さて内容ですが、この丹波の田舎のお墓をめぐって話が進んでまいります。ここに住んでいる私からしますと、それなりに不自由のない生活をしているつもりなのですが、東京から見ればすご~く辺ぴなところという印象なのですね。登場する奥様の言葉が、田舎者の心に刺さります。

この小説がとても参考になるのは、話の内容を通して現代の葬送(特にお墓)の内容がよく分かることです。一般の方が散骨や樹木葬に対してどんな風に思っているのか?都心の納骨堂と郊外のお墓の違いやメリット・デメリットなどが克明に綴られています。

また夫婦の納骨に対する価値観の違い、嫁姑の関係、田舎のお寺との離檀料の話まで、この手の事の問題のオンパレードでとても楽しく読みました。最後の結末には少々驚きましたが・・・。

墓じまいの結末

2018年11月28日 08:00

森田 浩介
森田 浩介

仕入担当の森田です。

本日はジャケ買いの様に買ってしまった本『墓じまいの結末』をご紹介します。

お書きになっているのは森下瑞堂さんというご住職。といっても、ワリと最近までマスコミ業界におられた方らしく、出家されてご住職になられたようです。
墓じまいの結末.jpg

さて内容としては、「霊は骨に宿るのではなく石に宿る。」「戒名を彫ったお墓に霊が宿る。」という感じの表現が多いです。

ここらの内容が、死者と会話ができる住職(この方の師匠)の話に基づいているものです。当然、それを科学的に証明できるはずはありませんが、読んでいて、おそらく間違ってはいないのように思えます。

こんな仕事をしておりますので、少なからずこのような内容には慣れているためスッと入ってくるのですが、事実と言ってしまうことも私には出来ませんので微妙です。

この本の中で「的」を外さない供養の仕方について書かれていました。その方法はすでによく知られている、今までどおりの当たり前のお墓参りや仏壇に手を合わせるということです。しかし現代人には全く響かないのでしょう。なぜなら、その理由がわからないから。

もし、私がこんな仕事でなければ、こんなことを真剣に考えることもなかったでしょうし、もし、そんな必要に迫られたときでも、できるだけお金がかからない方法をネットで探し、それについて心地よい意見を言っている人の話に賛同するのでしょう。

しかし、見えないものでも大事なものは大事だということ、先祖に感謝すること、先人を敬うことは人としての基本なのかもしれないと、幸運にもこの仕事をしていることで知ってしまったような気がします。

話はずれましたが、墓をしまうということは完全に無くしてしまうことではなく、霊の拠り所は小さくても作って置くべきで、それが先人を敬うということとありました。

まさにそうだと思いますが、私たち石材店がそのような受け皿をこれから用意していかないといけないのかもしれません。

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お墓の展示場

見学会 次回は9月を予定しています。

山南本店久下小学校近く
滝野店JR加古川線滝駅すぐ前
たんば篠山店丹南篠山IC近く