こんにちは滝野店事務スタッフです。
今年のお盆は「施餓鬼」という文字を何度も見ました。
私の地元では、公民館で「お施餓鬼」お堂で「施餓鬼供養」お寺で「施餓鬼会」があります。
父の時は母と二人で何も思わず全部参加したのですが、何が違うんだろう?と思い地区の係の方に質問してみると、「供養ですから」という返事。お布施の金額もお供えに持っていくものも違います。母の供養になるのならと参加を決めたのですが、頭の中にはずっと?がありました。
結局違いはわからないままでしたが、施餓鬼をすると供養になるのかはわかったような気がします。
施餓鬼会が始まる前にご住職がお話してくださったのは、
まず「餓鬼」とは、身長は1㍍くらいで、骨と皮ばかりで痩せているのに、お腹だけは出ていて、鬼の様な顔をした生き物。
飲んだり食べたりできないのでずっとお腹が空いている。
ここまで聞いて、食べられないのにお供えしてどうなるんだろう?という疑問が出てきます。
施餓鬼の起源は、お釈迦さまの弟子の一人である阿難(あなん)の前に餓鬼が現れ、「お前の命はあと3日だ。その後は餓鬼の世界に来る」といわれました。
阿難がお釈迦さまに相談に行くと、「餓鬼に対して沢山の食物をお供えし、廻向しなさい。」と言われ、お釈迦さまに言われたとおりにすると、短命を免れることができたと伝えられています。
なるほど、でも食べられないのに?の疑問は解決しなかったので、帰ってきてから調べました。
餓鬼は食べ物を手に取ると炎になってしまって食べることは出来ないけれど、お経をとなえれば形が残って餓鬼は食べることができるそうです。
施餓鬼供養の目的は、餓鬼道という苦しみの世界にいる霊魂を救済することです。
仏教には六道と呼ばれる六つの世界があり、その一つが餓鬼道です。
生前の悪行により餓鬼道へ落ちた者は、餓鬼という鬼となって常に飢えと渇きに苦しむとされています。
餓鬼は現世に悪影響をもたらすと考えられており、施餓鬼を行って霊魂を救うことで、供養する側にも大きな功徳があるとされています。
施餓鬼をすることでご先祖様に供養が届き、私たちにも徳があるということですね。




















