こんにちは、本店スタッフです。
私は森田石材店ブログのネタ枠だと思っているのですが、今回はあまり楽しくない話題です。
先月父が亡くなりました。
私、まだギリギリ30代。親が亡くなるのはもう少し…いやもっとずっと先の話と思っていました。
1年半ほど前には病気が発覚していて余命宣告もされていたので、心の準備はそれなりに出来ていましたが、それでも人が死ぬ時はいきなりです。
森田石材店には葬祭事業部がありますので、世間一般の方に比べれば日頃からお葬式の事を考えて生きています(もちろんですが、父の葬儀は森田石材店葬祭部・もみじ市民ホールでお世話になりました)
近い将来お葬式をすることになるのだから「私ならこういうことがしたいなぁ」というのも、結構考えていました。例えば、家で飼っていた猫たちが大好きだった父のために歴代の猫の写真を集めたパネルを作って飾ってもらおう と決めて少しづつ制作を進めていました。
父が亡くなる前日、私は仕事が休みでした。一週間前までは普通に会話も出来て、這いながらでも自力でトイレに行ってたのに、この日は明らかに容態が悪くなっていて、痛み止めを飲ませてあげるために父の顔を見た時に「あ、これは明日急いでパネル完成させてしまわないと」と感じました。でも、次の日の早朝には亡くなっていたわけです。
パネルのデータは会社のパソコン内にしかないので、家で作業を進めることもできず。会社に取りに行ってもよかったのですが、ほかの方に気を使わせてしまいそうだから会いたくないなぁと思い諦めました。
これに関しては、もう後悔はしていないのですが「絶対、これをしてあげたい!」という計画・思いがある方。後回しにせずにしっかり準備をしておきましょう。
あとは、実際にお葬式をしてみて思ったこと。
葬儀の日になると父が亡くなってからもう3日目。悲しみより疲れが勝っていました。
そのせいか涙腺の弱さで私の右に出る者はいないのに、この日は一切泣かずに過ごしました。こんなことを言うと「親が死んだのに薄情者だ!」と思われるかもしれませんが、泣きじゃくって無茶苦茶になった状態ではなく、お葬式もお別れの時間も収骨も全部しっかりとした状態で行うことができたし、色んな場面をちゃんと記憶に残せたので私は非常に満足しています。
ずっと昔「年取って醜態を晒したくないから、そうなったら安楽死にしてくれ」と言っていた父。「こういうこと言う人こそしぶとく長生きするんやで」と思っていましたが、人生はどうなるかわかりません。
私自身は「お父さん大好き!」というキャラでもなく、子どもの頃は怒りっぽい父が怖かったし、大人になってからはこだわりが強く妙なマイルールを押し付けてくる父を鬱陶しいと思うことが多かったです。
それでも、私にとっての父はこの人だけです。
葬儀の二日後には仕事に復帰して、すっかり元気に過ごしていますが時々急にスイッチが入って涙が溢れる時があります。
きっとこれは一生直らないんだろうな。



