『お墓見聞録』【ブログ】 兵庫の墓石店「森田石材店」

身近にあったユニークなお墓

中村 淳
中村 淳
滝野店の中村です。

前回の記事では、大阪夏の陣などで活躍した武将「後藤又兵衛」のお墓をご紹介しました。
今回は同じ景福寺にある個性的なお墓をご紹介します。

まずはこちら。

石臼①-1.jpg 石臼②.jpg


変わった形をしています。皆さん何かに見えませんか?

答えは「石臼」です。
これは江戸時代初期の剣豪「羽生郷右衛門」の墓だそうです。
石臼を毎日持ち上げて鍛練していたというエピソードにちなんでこのようなお墓が建てられたそうです。


次はこちらです。

元旦①.jpg

元旦②.jpg

こちらは「島田元旦」と言う人のお墓です。
日本に於ける最初のアイヌ語辞典とも称すべき報告書を作成した人物。また、画家としても活躍しました。
正月元旦生まれという事で画号を「元旦」としたそうです。
画家らしくとても印象的な正面文字で私はしばし見とれてしまいました。

元旦③.jpg



最後にこの景福寺を建立した「荒尾家」のお墓です。

荒尾家①.jpg

景福寺はもともと現在の兵庫県川辺郡猪名川町にありました。
荒尾隆重(当時の姫路城の城主池田輝政の家老)が姫路城下(兵庫県姫路市)に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺としました。
そして主君が鳥取藩(鳥取県鳥取市)と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っています。その為、景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の4箇所に存在し曹洞宗四景福寺と呼ばれています。
とにかく巨大な石塔で高さ3mくらいありました。

荒尾家③.jpg

意外と近くにこれだけユニークなお墓がたくさんあり、これから鳥取へ行く楽しみがまたひとつ増えました。
2018年6月 7日 08:00

旅先で見たお墓

義積 由香里
義積 由香里
こんにちは、本店の義積です。

先日社員旅行で長崎に行ってきました。軍艦島はじめ大浦天主堂、グラバー園など異国情緒溢れる長崎の風景を満喫してきました(^-^)

20180526-1.jpg

旅に出ると地元と違う事に驚く事がたくさんあります。私は長崎のお墓を見てびっくりしました。大浦天主堂近くに小さな墓地があったのですが、なんと文字が金色で、お墓の周りの外柵も高く丹波ではあまり見ることができないものでした。

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関西では文字や家紋などは黒色や白色が多いのですが、ここでは全て金色!あまり見た事ないな~。そしてやけに背が高いと近づくと、カロート(お骨を入れる部分)が地面と同じ高さの地上納骨型です。

関西は、墓石のちょうど真下にある土の部分が納骨堂が一般的です。九州地方、沖縄地方のお墓は大きいと聞いていましたが、本当に大きなものでした。九州地方のお墓の特徴は、地上納骨、大きな外柵、そして金色の文字だそうです。

20180523-4.jpg

こちらのお宅のカロートの扉には菖蒲の花が描かれていました。素敵ですね!

観光地も楽しいですが、このような地元の普段の日常生活に触れる事も旅の楽しみです。いつか全国のお墓を見てみたいです。お墓好きにはたまらない旅になるだろうな(^-^)

2018年5月26日 08:00

後藤又兵衛の墓

中村 淳
中村 淳
滝野店の中村です。

今年のGWは思いがけない発見がありました。

家族総出で父の実家のある鳥取市に行きました。
しばらく会っていなかった祖母の様子を見に行くこととお墓参りが目的です。

お墓は祖母の家からは徒歩5分ほどのお寺の境内にあるお墓です。
地域が変わるとお墓の形も随分と変わるので、興味深く見て回りました。

お墓から祖母の家に帰る時、いつもとは違う道を通りました。
子供たちに「昔はここにお風呂屋さんがあって...」などと思い出話をしながら歩いていた時です。
途中に割と大きなお寺があります。
お寺があるのは昔から知っていたのですが今までは全く興味がありませんでした。

しかしこの時は妙に気になりました。
気になった原因はこちらの石碑でした。

KIMG0604.jpg

一昨年、大河ドラマ「真田丸」が放映されていたのでご存知の方も多いかも知れません。
後藤又兵衛は戦国時代に活躍した真田幸村と並ぶ武将で大阪夏の陣で戦死しました。
ちなみに真田丸では哀川翔さんが演じておられました。
後藤又兵衛の出身は現在の加西市。亡くなったのが大阪。
そんな彼のお墓が目の前のお寺にあったのです。

実際のお墓がこちらです。

KIMG0608.jpg

KIMG0609.jpg

奥様と大阪夏の陣で同じく亡くなった長男の墓も並んでおります。
看板には9代目までのお墓があるそうですが家族にせかされ時間切れとなり発見できませんでした。
私の住んでいる篠山市にも後藤又兵衛の子孫の墓があります。

ちなみに後藤又兵衛が討死したのが5月6日。
私の誕生日です...。
このお墓を発見したのが、なんとっ!
5月5日...。
おしいっ!

戦国武将のお墓は全国に点在していたりするものですが、自分の身近な所にあるとは思いもしませんでした。

このお寺にはこの他にも珍しいお墓があったので次の機会にご紹介したいと思います。
2018年5月22日 08:00

珍しいお地蔵さま

吉田 正和
吉田 正和
滝野店の吉田です。

今回は、加西市の珍しい地蔵菩薩を紹介させていただきます。

今から40数年前に加西市教育委員会が発見し、新聞などで報道されました。表面は、普通のお地蔵さんと変わりはないのですが、裏面には十字架が刻まれたお地蔵さまです。「背面十字架地蔵」と呼ばれており、地元産の凝灰岩で通称「高室石」といわれる石で作られております。

1枚目の写真のお地蔵さまは、加西市教育委員会が最初に発見したお地蔵さまで、大日寺(天台宗)の境内に安置されている50体のうちの唯一の1体です。今から約300年前の享保10年(1725年)に作られたものです。徳川三代将軍の鎖国令から、キリシタン禁制が厳しくなった時代のなかで、その禁制をくぐって信奉していた「かくれキリシタン」といわれる人々がいたことを証明しているといわれております。キリシタン遺物のなかでも、全国的に大変珍しい石仏です。

DSCN2771.JPGDSCN2774.JPG

次の写真は、寛保2年(1742年)に製作された「背面十字架地蔵」です。今でも、集落の墓地の中央に立っています。

朝妻地蔵前.JPGDSCN2765.JPG


2018年4月29日 08:00

第三十三警備隊慰霊碑

森田 浩介
仕入担当の森田です。

先日、お客様がある写真を持ってきてくださいました。その写真は広島県呉市にある「呉海軍墓地」でした。

こちらにお墓参りをされた時、偶然にもすぐそばに当社が建立したお墓を発見されたとのことでした。その写真がこちらです。

第33警備隊慰霊碑.jpg

ちなみに、この第三十三警備隊について書かれたページがこちらです。

【地域】フィリピン・ルソン島
【解説】1944年3月5日、内地で設置。4月17日、呉を出発してフィリピンへ。ミンダナオ島ザンボアンガの防衛を担当。司令は池田敬之助海軍大佐。1945年3月10日、アメリカ軍がザンボアンガに上陸。三月末、弾薬が尽きて北方に転進。池田司令は8月14日、ガリカン高地でマラリヤのため戦病死。終戦時の人員は、陸軍の独立混成第54旅団などと合わせて約400人。(参考資料:『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』563~564頁。『旧海軍恩給年加算調書(8)』216頁)

第33警備隊慰霊碑(建立).jpg
裏面には仙台石の銘板に弊社の名前が彫られています。

過去の資料で、呉に慰霊碑を建てたことは知っておりましたが、それがどこにあって、どんなものなのかは存じておりませんでしたので、本当に驚きました。

こうして旅先で弊社のことを発見してくださる方、本当にありがたいと思っております。そして、作らせていただいたものが長く後世まで残るこの仕事に感謝です。
写真をくださった藤賀様ありがとうございました。
2018年2月22日 08:00
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